出会いがあれば必ず別れがあるとは
頭では分かってはいます。
しかし最愛の子供さんを
失った母親の悲しみはその立場になった者でないと
分かるものではないというのが現実ではないでしょうか。
山口県で仕事をしていた時に
30代前半の女性の方とご縁がありました。
一度家に来てくださいとのことで
寄せて頂くと玄関に入ったところ、線香の香りがする。
「この若さでどうして香水などではなく線香なのだろうか」
そう思っているとこちらへどうぞと
お仏壇のある部屋に案内された。
そして女性は静かに仏壇の前で手を合わせておられる。
私は深い事情があるに違いないと思って、その部屋を
さりげなく見てみました。
すると小学生位のかわいい男の子の遺影がある。
ああ、これか
それでしばらくして「奥さん、このかわいい方は?」と
尋ねると
女性は小さな声で
実は。。。。と語り始めたのです。
その内容は聞く者の心さえもつぶれそうにさせる内容でした。
とても詳しく書けるものではないので要約すると
奥さんの不注意で事故にあって。。
しかもその場面を姑さんが見ておられた。
声を震わせながら、ご自分を責めるその姿に
掛ける言葉はとても見つかりません。
可愛い小学生の子供さんを失うだけでも
どれほど悲しいことか
しかも自分の不注意という現実
姑からの怒りに満ちた視線
夫は仕事で気も紛れることもあろう。
自分を責め続け今までこの女性は
どんな気持ちで2年間も過ごしてきたのだろうか。
そんなことを思うと心の中で
「あなたが一人で責任を背負われることは
ない、世の中にはどんなに注意していても
避けることのできないこともあるでしょう。
だからどうかご自分をこれ以上責めないで。」
そんな気持ちで一緒に泣くしかできませんでした。
大切な子供を失った親御さんの悲しみはどんな言葉を
かけてもそう簡単に消えるものではないでしょうし、
立ち直れるものでもないと思います。
ただ、その女性から数年経過して手紙を頂いた。
「あの時に私の立場になって一緒に泣いて下さった
お気持ちがどんな言葉をかけられるよりも嬉しかったのです。
それが今も支えになっています」
人それぞれ他人には分からない苦しみ、寂しさ、
悲しみなど抱いているもの。
完全には理解などできるものではありませんが
相手の心に寄り添うあたたかい気持ちは持ち続けたいと
思います。